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「学びの銀河」プロジェクト
連載「私とESD」
01
“宇宙の中の地球”を、
大学生らしく理解する
高塚 龍之 先生
科目「地球規模環境論」ほか
»岩手大学研究者データベース

―― ESD科目の「地球規模環境論」は、どんな講義ですか。

高塚  地球規模の環境問題ということで、講義の前半は、酸性雨・オゾン層破壊・地球温暖化・砂漠化・重金属汚染、それから戦争による環境破壊などを扱います。学生諸君も断片的な知識としては持っていますが、それを自分の中で整理して捉えられるようになってもらう。
  後半では、地球温暖化の問題を中心にやっている。世界と日本のCO2排出の状況や対策をやりまして、京都議定書の中身と意味を話します。どれくらいCO2排出量が増えたのかということを実感してもらうために、統計データからグラフを作ってもらうという演習的なこともします。それから、ポスト京都議定書のことですね。
  私の専門は天体物理学ですので、講義の最後には「宇宙の中の地球」という視点に触れます。生命が生息して高等文明を持つに至った地球が、稀な存在―― 主系列星の惑星で、生命にとってちょうどいい距離・大きさ―― であって、それだから大事にしなければならないということで締めくくっています。

―― ESDとの関係では、何を重視していますか。

高塚  これからの社会は、企業活動・生産活動あるいは文化活動であっても、大なり小なり環境に関係していくと思うんですね。そこに触れないでいることはできない。地球が有限だということは、ますますはっきりしていますからね。そういう意味では、基礎知識を大学できちんと持ってもらいたい。基礎知識があれば、あとで問題に応じて自分で勉強することができますから。そういう市民として卒業してもらいたい。
  天体物理学としては、「宇宙の中の地球」という視点と、なぜ温暖化になるのかというメカニズムを捉えてもらうということに力を入れています。
  文系の学生は数字を嫌うんですよ(笑)。「数字っていうのはどうってことないんだ」ということを、どうやって分かってもらうのかにエネルギーをさいています。
  CO2が増えたら温暖化するということは知っていても、なぜそうなるのかを大学生らしく説明できなければ困る。中学生・高校生と同じではだめです。電磁波の波長の違い、CO2分子の性質、黒体の輻射といった物理法則と関連づけて考えてもらう。例えば、地球にとどく可視光のエネルギー量から、太陽が出しているエネルギーを計算してもらいます。嫌がられますね(笑)。でも、しつこくやっていかないと。
  学問分野の中での講義の位置づけ以上に、人類的課題との関連での位置づけを教員が持つことが必要でしょうね。
  学生が講義を通じて関心を持つためには、面白いなとか考えてみようかなという題材からはじめないと。原理原則からずーっとやっていって「いつか気づいてくれるだろう」というわけにはいかないように思ってね。関心のある問題から展開していく必要がある。

―― ふつうは古典力学から始めますよね?

高塚  それはね、関心をもっていればそれでいいんだけど。学問の発展・系統性からするとそうなんだけど、そもそもの「関心」から始めなければいけない場合はそうではないんですよ。関心を持ってからなら、バックして体系をはじめから学ぶこともできる。なんとなく基礎からやるのとは違います。
  文系の学生に、どういうふうに関心を持ってもらうか、とくに、数値的なことを嫌わずにやるか。そういう今までの経験を指導書という形にまとめたいなと思っているんですけどね。

―― 先生の研究対象は中性子星ですね。天文学のような科学と市民との関わりは、どう考えればいいでしょうか。

高塚  中性子星は非常にコンパクトな天体で、原子核を巨大化したようなものです。重力でぐーっと縮まっていまして、その中心では地上の実験室ではできない物理条件ができている。その点では、核物理学の知識を天体物理学に適応するという境界領域、「天体核物理学」というのが正確な呼称です。
  自然科学では、どう役立てるのかという観点からの医学・農学・工学といった「“どう”を問う」応用科学がありますね。それにたいして、文化としての科学というかね、なぜ我々はいるのかといった「“なぜ”を問う」科学がある。これは古代ギリシアから問われてきている自然の世界観、自然哲学です。
  現代のメディアの進歩の力を借りて、広く大衆とともに進める意義が、天文学では非常に大きいと思います。というのは、誰でも夜に見えるから。原子核は誰にも見えませんけど、天文学は肉眼で見える自然を相手にしている。アマチュアと専門家とがセパレート(分離)せずに、すそ野がずーっと広がっている。科学に関する関心という点では、子どもの頃から近づきやすい分野ですね。

―― ただ、「“どう”を問う」分野は、目に見えて役に立つとかお金が儲かるとかで関心も持ちやすいですけど、「“なぜ”を問う」分野は関心が持たれにくい時代になってしまっているような気がします。

高塚  生まれたときから、水や空気のように高度な機器があると、それについて「なぜ」を考えない。ある切り口で、一見あたりまえのことを「なぜ」と問う、これを教えるのは現在の教育に課された大きな課題だと思いますよ。問いを発せないと、理解できないんですから。
  ただ、学生さんが「なぜ」を考えない、感覚的な時代になってますから。五官で感じるのは好きなんだけどね。そこから一歩すすんで、脳で苦労して考えるということには慣れてない感じがします。
  身近なものでの個人的な感動が、世界のすべてだと思い込んでいるんですね。学問や芸術の中での感動というのは、ある種の意識性をもってやらないと味わえないんじゃないですかね。そういうふうになってくれればなぁ、と思いつつやっています。
  とにかく、まだまだ試行錯誤です。時代はどんどん変わって、環境も変わる。しかし伝える学問分野は非常にリジッド(固定的)なもんですから、どうフィットさせていくかは新たな課題ですね。
(談)
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